サラリーマン行政書士の読書日記

本ブログは、サラリーマン行政書士である私が、本業、副業、中小企業診断士に挑戦若しくは奮闘する様及び読書記録を綴るブログです。


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『全体主義の起源』から悪の陳腐さの報告に至るまで。

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100分de名著という学びのきっかけ

NHK、Eテレの人気番組に100分de名著という番組場あります。私はテレビをほとんど見ないのですが、この番組のテキストを見たところ、すっきりとまとまっていました。分厚い本、テーマを扱っている場合には入門書としてよいなと思い、読むことにしました。

選んだのは『ハンナ・アーレント「全体主義の起原」』です。

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

 

実際に放映されたのは2017年9月で、随分前にはなりますが、取り扱っているハンナ・アーレントの『全体主義の起原』は、今世界中で起きていることを説明するのにとてもよい教材になります。『全体主義の起源』そのものを読みたいのですが、本書は3冊からなり、テーマもテーマですので、なかなかすんなりと読むことはできません。

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】

全体主義の起原 3――全体主義 【新版】

全体主義の起原 2――帝国主義 【新版】

そこでこの100分de名著のテキストが、ちょうどよい分量で、誰でも分かる内容にまとめられていてオススメです。読んでみての結果論、ですが。

そして、このハンナ・アーレントという方は自身もユダヤ人であり、『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』の著者でもあります。アイヒマンというのは、ユダヤ人大虐殺を直接的に行った人物。全体主義のナチスがこの大虐殺を行った経緯から、『全体主義の起源』から『エルサレムのアイヒマン』へも、必然的な流れて入っていくことになります。

『全体主義の起源』の段階

テキストのもととなっている『全体主義の起源』では、上記の通り「反ユダヤ主義」、「全体主義」、「帝国主義」という切り口で書かれていますが、テキストでは少し異なります。『全体主義の起源』から『エルサレムのアイヒマン』への橋渡しをするような構造です。

異分子排除の対象とされたユダヤ人

まずユダヤ人が迫害の対象となった経緯。これを読んで本当に自分は何も知らなかったと痛感しました。ユダヤ人の差別というのは、なにも戦時中のドイツにおける特殊事例ではなかったのですね。

ヨーロッパがキリスト教社会になったのちのユダヤ人の立ち位置と、王制から国民国家へと移り変わるなかでの国民のアイデンティティの確立。これらが複雑に絡み合い、ヨーロッパ全土で、この血統、文化の違うユダヤ人に対する様々な思いが渦巻いていた。

ナチスは徹底的にユダヤ人を国内の問題の捌け口として扱いましたが、当時のヨーロッパにおいては、残念なことにユダヤ人は異分子として考えられていたのだといいます。

全体主義と帝国主義

国民国家のアイデンティティは、つまるところ出自です。日本人、ドイツ人、アメリカ人という国を拠り所とする。さらにどこの出身なのか、もともとその土地の人間なのか、どういった血筋なのか、といったところにアイデンティティを求めます。ナショナリズムそのものです。

これって、今の日本でも、特にネット上でよく目にしますよね。世界に目を向けても、移民問題や独立問題の根源はナショナリズムと結びつきます。自国ファーストを掲げるアメリカもそうです。

近年のバズワードに、多様性、ダイバーシティという言葉がありますが、流行っている割に、世界の大きな動きとしては逆行しているように思います。マクロではナショナリズム、ミクロではダイバーシティ、そんなことは可能なんでしょうか?

話を戻して、このようなナショナリズムの高揚はそのまま人種思想へと傾き、アイデンティティを共有できる者同士の全体主義へと繋がります。そしてそこに帝国主義という版図拡大主義と相まったのがドイツです。

ドイツは広がった国土に点在するユダヤ人を、自らの主義を国民に徹底する上で、なんらかの対処を迫られます。戦争にもお金がかかり、早急になんとかしなければならない、と考えたときに、アイヒマンが考えたのが、世にも恐ろしいガス室での大虐殺でした。

無思想性により犯罪者になったアイヒマン

こうして人類史上最悪の大虐殺はおこってしまったわけですが、戦後、この大虐殺を直接指揮したアイヒマンという男が逮捕されました。このアイヒマンの裁判を、アーレントが傍聴し、克明に記録、分析したのが『エルサレムのアイヒマン』です。

これにより、全体主義がどのようにして起こされるのか、「個」の部分がクローズアップされることになりました。

この裁判の様子は中継もされたらしいのですが、いかにも屈強な主義者然とした男、という多くの人の予想を裏切りました。また、残虐性の代わりに、ただ命令に従順に従うだけの思考停止した人となりも見えてきました。つまり、アイヒマンは自分が一体どのような残虐な命令に従い、それを遂行しているのかわかっていなかったのだといいます。アーレントは、これを無思想性と言っています。

結局のところ、アイヒマンは筋金入りの主義者だったわけでもなく、猟奇的な残虐性を備えていたわけでもなく、自ら思考していなかったことにより大虐殺に手を貸してしまった、というのがアーレントの出した答え。

これは、ナチスや全体主義国家の下でなくても、アイヒマンのような人間が生まれ得るということです。生まれ育った環境などにより自分自身の考えを持てない人がいて、絶大なカリスマを持った人間が現れたら…。それが善ならよいですが、悪であったなら、その人は間違った方向に、何も考えずについて行ってしまうでしょう。

この裁判のアイヒマンを通じて、アーレントは「悪の凡庸さ」を見たと言います。典型的な「悪」ではなく、凡庸で、ありふれた、誰にでも起こりうる悪。ユダヤ人にとって許しがたい犯罪であるホロコーストの裁判を、「悪の凡庸さ」と締めくくってしまったアーレントは、世界のユダヤ人から非難を浴びます。

彼らが最も許せなかったのは、同胞たちを虐殺した犯罪者と同じものが、自分たちの中にもある、と言われたことでしょう。『エルサレムのアイヒマン』の出版後、アーレントは多くのユダヤ人の友人を失ったそうです…。

アーレントが伝えたかったこと

『エルサレムのアイヒマン』出版後のユダヤ人の怒りもわからないでもないですが、全体主義、ホロコーストに真摯に向き合って、全人類に警鐘を鳴らしたアーレントの功績はとても大きなものだと思います。

自身もユダヤ人であり、アイヒマンに対する怒りを含んだ著書にもできたはず。でもそんなことよりも、この事件の本質に潜む悪の凡庸さ、月並みで誰にでも起こりうることだという事実を伝えずにはいられなかったのでしょう。なぜならそれが、事件を二度と起こさないためにできることだから。

アーレントは、無思想性に陥らないために、「複数性に耐える」ということを示唆しています。これは物事を他者の視点で見るということらしいです。つまりは人は一人ではなく、他人との関係性の中で生きていかなければならないということでしょう。

まとめ的なもの

100分de名著という薄めのテキストでしたが、読み始めたらどんどん引き込まれて行きました。恐ろしい歴史とともに、人間そのものの恐ろしさを痛感します。やはり歴史からは学ぶことが多いですね。本書を読んで、『エルサレムのアイヒマン』には興味を持ったので、改めてしっかりと読んでみたいと思います。 

最後に、アイヒマンの裁判ののち、ミルグラム実験とスタンフォード監獄実験という二つの実験が行われました。特定の状況下で人間がどうふるまうのか、という実験です。結果は恐ろしいものでした。そして、本書との関連で言うなら、アイヒマンのような人間は、状況次第で生まれえるという結果です。スタンフォード監獄実験を題材にした映画に『es[エス]』があります。興味があれば見てみてください。

 

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

 
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】

 

 

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